ASKAさん

CHAGE&ASKAのライブで生涯忘れられそうもないのは、
結成25周年のときに行なった「熱風ライブ」です。
デビューした25年前のライブと同じタイトルで、
最近ではほとんどやることのなかった「ひとり咲き」や「流恋情歌」等の
昔の曲から最近の曲まで、そして「パラダイス銀河」に始まる提供曲メドレー…
幼少から聴いてきた"チャゲアス"が一夜にして味わえたとても素敵な夜でした。

私は母親がチャゲアスのファンであったため、小さい頃からずっとチャゲアスを聴いていました。
幼稚園の頃、実家の庭を見ながら「男と女」を歌詞の意味もわからず聞こえたまま歌っていたのを今でも覚えています。
(ちなみに日曜日はそれに加えて父親がLED ZEPPELINカーペンターズを流していました)

それから、ほぼ毎日だと思います。
毎日生活のどこかでチャゲアスの歌を歌っていました。

大人になると、何も考えずに口ずさんでいる曲の歌詞が、
その先を歌っていくと今の自分の心境を物語っていたりして、自分で驚くこともしょっちゅうです。

家では当たり前にチャゲアスが存在していたために、
「SAY YES」や「YAH YAH YAH」が流行したときは、いったい世の中でどれだけ認知度が増したのかもわかりませんでした。
それ以前の光GENJIへの曲提供や、その後の米映画やジブリ映画にチャゲアスの曲が登場するのも当然のことのように受け止めていました。
日曜には密かにツェッペリンカーペンターズが刷り込まれていたのですが、英語だったこともあって認識せず、
小学生当時、自分の中の音楽はチャゲアスしか存在しなかったと言っても過言ではありませんでした。


特にCHAGEよりも人生観を語るシーンが多いASKAの言葉は身にしみていて、
物事の考え方や捉え方も自分の中で彼の言葉をどこか座標軸にしていました。
そして自分が何かに直面する度、数えきれないほどその言葉に救われてきました。
本当に自分の人生のような人です。
部活の試合で不甲斐ない結果を残した帰りの電車から月が見えて「月が近づけば少しはましだろう」の歌詞の意味を痛感したり、
もちろんよく歌われるテーマである"恋愛"の中にもたくさんチャゲアスの歌を痛感するシーンもありました。


そんな人生のような人が、先日、逮捕されました。


逮捕のニュースが流れた朝、たまたま実家にいた自分は父親の「ASKA逮捕!」の声で目を覚ましました。
何がおこったのかよくわかりませんでした。
涙が止まらず、顔を洗ったりして誤摩化していたものの、母親にはバレていたようです。
細い目なのに…やはり親はわかるもんですね。

そこからは時が止まったかのような感覚でした。
幸い、友人達のおかげでふさぎ込んだり閉じこもったりすることはありませんでした。
友人達が時を進めてくれていました。


まさかこんな経験をするとは思ってもみませんでした。
このブログをお読みいただいている方がどれほどいるのかわかりませんし、皆さんにとって何と置き換えていいものかもわかりません。
これは「信じていたものに裏切られる」という感覚ではありませんでした。

例えるなら、親族・家族が犯罪を犯してしまったような感覚でしょうか。
どんな罪を犯しても自分とその人との関係は切れることはありません。
とても悲しく、悔しいことですが、そこには現実があって、「さてこれからどう対処していこうか」と思っています。
つまり、裏切られた→さようなら、とはならなかったのです。

マスコミの作るストーリーには興味はありません。
失敗を犯した人間を寄ってたかって責める様子を見ていると、やはり日本は東アジア的で村社会なんだなと思いました。
それは国民性でしょうから、自分にもきっとそういうところがあるのだと思います。

少し話がそれましたが、
今はただ、ASKACHAGEの言葉を信じることしかできません。

自分は、チャゲアスの曲や言葉からたくさんのものをもらったので、今度は自分から彼らに何かを返していく番だと感じています。
「アーティストは神様ではなく人間である」と言っていた人がいて、その通りだと思いました。
彼らは失敗もしますし、嘘もつきます。
それをすべて許す、擁護するという気持ちではありません。
もしお会いする機会があるなら、間違っていると思うことは間違っていると伝えます。
その上で、また歌ってくれるのを待ちます。大好きなので。

私は、「あの頃のASKAが一番」とか「チャゲアスのアルバムの何枚目が最高」とか思ったことがありません。
例え声が出ない時期でも、どんなときでも常に「今のCHAGE&ASKA」が一番好きでした。

だから、また歌ってくれるのを待ちます。

加えて、あの二人が仲が悪いとか殴り合いになったとかいう記事も目にしますが、
チャゲアスのライブは、いつも二人が子供のように楽しそうで、
MCも二人だけで笑っていたりすることもあり、とても微笑ましく見ていました。
本当に無邪気なお二人に見えました。きっとここに偽りはないと思います。

ただ、二人でステージで歌ってくれる日を待ちます。



自分はあちこちで、「チャゲアスが好き」と言ってきたので、逮捕ニュースの当日は私がショックでどうにかなっているんじゃないか、
と安否確認の連絡までくださる方々がいました。本当にありがとうございます。
逮捕以来、いろんな人が会う度に「ASKAどうなの?アサイ君大丈夫?」と言ってくれ、
ASKAについてその人の見解を述べてくれたりします。
気遣ってASKAの話題を出さないでいてくれる人もいます。

私はそのとき答える言葉を決めています。

「やっちゃったね。しょうがないね。人間だもんな。ただ待つよ。」

きっと騙されたんだ、とか、そんなはずはない、とかそういうことは言いません。



あと、
私はブラックジョークを悪いとはあまり思っていません。
もちろん、ASKAの件でジョークを言われて気持ち良くはないのですが、
日本の「お笑い」は世界でも最高水準に発達していると思っていて、そういったギリギリのところを攻めるブラックジョークは
日本のお笑いを発展させてきた重要な要素の一つだと思っています。
だから、自分でも面白いと思えば、ASKAの件でブラックジョークを言ったりします。
なので、友人の皆様には、あまりお気を使わず、笑いを産んでください。



ここまでお読みいただいた方、本当にありがとうございます。
私が今この時点でASKAさんについて書けるのはここまでです。

怪我の功名と言いますか、今回の件や、ここ2年くらいで起こった自分の根幹を揺るがされるような出来事で、
だんだん新しい自分も産まれはじめています。心や気持ちは自分に正直なのであれば変わっていっていいものだと思います。
人はどうしても強くなっていきますね。


アサイタクロウ


「ロケットの樹の下で / CHAGE&ASKA

ここは途中だ
旅のどこかだ
ひとつだけ多くても
ひとつ何か足りなくても
終わるもんじゃない

剣道は日本の。。。

剣道を再開してはや1ヶ月。

出来る日は必ず素振りを最低500本やっています。

季節柄もあってだいたい夜遅めの時簡にベランダで素振りをしています。
最上階なので、ベランダの天井がなく、振り放題なわけです。

で、夜も遅めなので、あまり人目にもつかなかったのですが、、、


今日、いつもと同じように素振りをしていると、
300本めを過ぎたあたりで、
向いのアパートから人の声が。。。


どうやら男友達の家にギャル数人が遊びに来ていたようで、
いわゆる「家飲み」をしているところだったようです。

その、
声が聞こえて来た部屋は、2階下の部屋。

自分はその部屋に対して真横を向いた状態で素振りをしていたので、
視認はできませんでした。
見たら覗きになっちゃうし・・・


そのギャルとギャル男(声からの推定です)の声が素振り300本あたりで
急に大きくなったのです。


「何あれ???ヤバくなーーい?!」
「家で竹刀振ってんのーーーー?!」


あ、やべえ、気づかれた。。。。
ここでニコッとでもしてあげようかと思ったのですが、
300本目ともなると精神集中していて辞められないので、
とりあえず気づかないフリをしてました。


「見てみてーーー、竹刀ふってんのーーー?!ヤバーーーーい!」

ちょっと愛想を振りまきそうになるのを我慢して、集中!
こういう精神的負荷がかかっている状態は、練習になるのでありがたい!
てか、ライブをやってるせいで、人に見られてても全然大丈夫やんけ、おれ。


「チョー仲良くなりたいんだけどーーーーー」

まじすか。
俺は構いませんけど、男が不機嫌そうですよ?
てか、おれはあなたとあまり仲良くなれる気がしません。。。



「どーしよー?英語で言ったらいいかなーーー??なんて言ったらいいのーーー?」



え・・・?






英語???




どうやら剣道=日本の文化ということで、
日本が大好きなアジア人だと思われているよう。。。

まあ、さんざんの話し声を聞こえないフリしていたから、
日本語がわからないと思われたんか。。。



その瞬間です。
素振りの課題にしていた「肩と腕の動きのスピード」が無理なく上がっていたのです。


あれ?これか?この感覚か!


ギャルたちありがとう!
おれはハイスピードで素振りを500までやって、引っ込むよ。
また会うことがあったら、タモリ風ハングルで話してやるよ。


いつ何が、ふと繋がるかわかりませんね。。。
日々いろんなことを考えたりやってみるのって大事ですね。


今日の感覚は、「らんま1/2」で、
響良牙が獅子咆哮弾の極意を銭湯で発見するシーンを思い出しました。

剣道

先日、高齢者剣道大会(全国大会)なるものを縁があって見に行った。


その日は休みで、朝9時から会場に向かった。
武道の試合会場へ赴くのは実に久しぶりである。


剣道をやっていたのは、中学生のときで、
運動部に入りたいが、球技は苦手。。。という理由で剣道部に入った。

偶然か否か、親友も剣道部入部を考えていたらしく、
迷いはなかった。

中学がヤンチャな生徒が多かったり、信頼していた顧問の先生が途中で辞めて、
剣道のケの字も知らない先生が代わりに入ってきたりで、
練習はしていたものの、級や段を取らせてもらえず、
試合も少なかったように記憶している。

中途半端に終わってしまったのだ。

高校は、空手部に入ったが、
剣道の駆け引きの面白さには勝らなかった。


大学4年の授業で久しぶりにと、剣道を取ってみたものの、
高校を剣道に捧げてきた連中とは当然のことながら差が歴然。
変に経験者クラスを選んでしまったもんだから、技術より気合いでなんとかするくらいしかなかった。



面白さはわかっているのに、本当に中途半端。
もったいない、そう思える。




高齢者剣道大会の会場の付近では、選手であろうご高齢の方が、
何人か防具と竹刀を背負っていた。

下は55歳、上は80代越えである。

失礼を承知で書かせて頂くと、
「本当に剣道できるんですか?」というくらい、
みんなヨボヨボ、ヨボヨボ、と歩いておられた。

街で見かけるご高齢の方となんら変わらない。。。


どんな試合になるんだろう。。。



しかし、いざ会場に入り、試合場を眺めるとビックリ。

そこにいる全員がピョンピョンはねたり、スピーディーに面を打ったりしている。

とても先ほどヨボヨボ歩いていた方々とは思えない。

防具を身につけて顔が見えないもんだから、
中学当時に見ていた試合風景と何ら変わらない。

むしろ動きに無駄がない分、よりスマートに見える。。。


声も、大きな声を出すと若者と何も変わらず、力強さも感じられる。


これはすごい。
え?!あの人、80歳!?


麻雀は歳をとってもできる、ボケない、というのはよく聴くが、
剣道もそうであろうと思った。
姿勢もいい。


いつまでも若くいられるというか、
歳はとってもとられるな、と教わったような気がする。



若者と何も変わらない、と思った。



が、、、、

大会がお昼休憩を迎えたとき、場内を埋め尽くしたのは、

「◯◯先生のメガネが紛失しております!」
「受付にて小手を預かっております!」
「赤茶色の手拭いを落とされた方いらっしゃいませんか?」

という落とし物、紛失物のアナウンスだった。


微笑ましい〜



この日、剣道をまた改めて始めようと決心した。
もう一度。
とても美しい剣道をする方がいて、血が逆流する思いだった。
感化されたのだ。


剣道始めたら、ここにも記録として記していこうとおもう。


長くてごめんね。読んでくださってありがとう。

ただ、ただ、

大好きな人間はたくさんいる。

嫌いな人間はあまりいない。

でも、人間自体を嫌いになったりもする。

人間捨てたもんじゃないな、と思うときもある。



今年は弾き語りでもやってみようかな。


人生一度だし。

恵方巻き

そういえば、何年か前だったか、

節分の日に友達の家に集まって、皆でなが〜い恵方巻きを食べようということになった。

毎年決められた方角を向いて、途中で切らさずに太巻きを食べきる、あれだ。


今年の方角は、北北◯!


ということで、皆で恵方巻きをかぶりつきながら、
北北◯のほうを向くと、
26インチくらいのテレビ。


テレビでは、明石家さんまさんの番組。
お笑いでは10割打者のお笑い怪獣である。


そこから、地獄の5分間。


吹き出しそうになるのを全員でこらえる。
笑ってはいけない節分が始まった。

CHAGE&ASKA復活の日に

生まれて間もなく、だったのか、
記憶はもちろん無いけど、親が好きだった影響で
小さい頃からずっとCHAGE&ASKAチャゲ&飛鳥)を聴いている。

たぶん口ずさまなかった日は、今までなかったんじゃないか、
というくらい。

実家では当たり前にチャゲアスがあって、
世間でどの曲が知られているのか、もよくわからなかった。

それでも、「SAY YES」「YAH YAH YAH」がヒットしているのは、
もちろんわかった。

それはそれは、不思議な感覚。

自分の当たり前だった人たちが、テレビにたくさん出て、
学校に行けば、友達もみんなチャゲアスを歌っている。


そのころ、ようやく世間でチャゲアスがどんなとらえられ方をしているのか、
何となくわかった。


CDとテレビの関係もなんとなくわかった。

取り上げられるものとそうでないものがある。


「世の中はわかってない」とか「商業主義のテレビめ」なんて
アイディアは全くわかず、
ただただ、ありのままに見ていた。

小学生なんてそんなもんですよね。


で、今も別に世間からチャゲアスがどう思われていようと、
全く気にしていない。

もう人生と切っても切れないものになっていたから。


でも、先日、ASKAがソロのライブのMCで
「どうしても自分のこと"僕ら"って言っちゃうんだよな…」
と言ったのを皮切りに、
CHAGEの話、それから自分たちが世間からどう思われていて、
自分たちはどういうつもりで活動をしていて、
ということを話し始めた。

「あ〜この人はいろんなことをちゃんと分かってやっているんだな〜」

って思ったら急に涙が溢れ出してきた。

「え?俺、ここで泣くの!?」

と自分でもビックリした。

はっきりとはわからないけど、たぶん、
自分が向き合ってきたCHAGE&ASKAと、本人たちの意志との間にズレがなかったことが、
自分にとってとても嬉しいことだったんだと思う。


そして、先日、活動休止していたCHAGE&ASKA
活動再開を発表した。

恥ずかしながら、泣いてしまった。

今まで、ソロしかやらない時期なんて何回もあったのに、
やっぱり「活動休止」という言葉にショックを受けていたようだ。

4年越しにそれを自覚した。



自分も彼らもいくらか歳をとった。


でも、長年この関係は、変わらない。
これからも、そうだと確信している。